ソーシャルアクティビスト 古岩井一彦インタビュー『大きな円の弧になることを生きる意味と考え、「逃げ切る人生」から「生き切る人生」へ。』

2020.11.29up
初めて古岩井一彦(以下カズさん)さんにお会いしたのは、撮影の打ち合わせの場所の都内とあるカフェにて。緊急事態宣言がようやく解除され、新しい日常へと世界中がまさに未曾有の中パラダイムシフトの過渡期に立たされているような時でした。目の前に座るカズさんは、思わず引き込まれる目力で何かを決意された直後のような表情をされていました。「僕は会社を辞めたばかり。根こそぎアップデートしたいんです。」唐突な言葉に驚きを隠せませんでしたが、お話を伺いながら、今の社会の潮流で希少価値的存在として「必要とされ促していく方」と確信しました。幼少期から何不自由なく優等生で、伸び伸びと過ごしてきた学生時代。一流企業に入社して昇格を重ねながら訪れた幾度かの試練。その中で培われた譲れない想い。変わらず彼を動かしてきた彼の中に根付く正義や使命感は、少年時代にアルゼンチンの土地で感じて過ごした体験と重なっていきます。もう一度ゆっくりカズさんに会ってその信念の奥にあるものを聞いてみたいと思っていました。今回は彼の根がどこでどう芽生え育ってきたのか、そしてこの先どのベクトルに向かっていくのか、に好奇心を向けてお話を伺いました。

これまでどんなお仕事をされてきたのか、教えていただけますか?

「業務の効率化」と「手に職」を考え、システムエンジニアとして大和総研に就職し、基幹系システムの保守開発を行っていました。「ポジティブな怠け者」を自負する自分にはぴったりの業務で(笑)、職場の人間関係もフランクで楽しく過ごしていました。それから訪れた最初の転機は4年目のこと。シリコンバレーでの短期語学トレーニーに行く機会があり、多文化に接する中で、自分の意見を言うことの大切さを実感しました。そこでの刺激が想像以上に大きくて、帰国後は、それまでとはガラッと変わり、会議では必ず何かしらの発言をするようになりました。2度目の転機は、8年目を迎える頃です。色々なタイミングやご縁もあって、新卒採用リクルーター、新人研修インストラクターを経験してから大和証券グループ従業員組合(労働組合)の専従を3年間経験しました。こうしてキャリアを通じて、自分自身の関心と得意が「IT」ではなく、「組織と人」に明確に変容し、コーチングやファシリテーションを学ぶようになりました。それから、「文句を言うだけじゃなくて、実際にやる側にならないと、不公平だ。」と考えるように。そして、社内ではかなり異例だったのですが、思い切って自ら希望して人事部に異動しました。気づいたら「自分が組合のときに会社に散々言っていた事を、今度は自分が実践する」になっていました。それからは、人事畑を中心として、組織マネジメントなどの役割も経験していきました。

カズさんの長い会社員時代での成功体験と苦労体験両方お聞かせいただけますか? 

思い出深いことは、3つあります。どうしても、成功体験と苦労体験はセットで思い出されるんですよね。苦労したけれど、成果が出せなかったものは、私の中では苦労体験というよりも、挫折体験になるって感じです。1つは、1998年度「大和証券の分社・持株会社化プロジェクト」のシステム対応。2つ目は2006年度の従業員組合の組織変革。3つ目が2008年度「大和総研の会社分割による組織再編プロジクト」の人事対応。いずれにも共通するポイントは、組織内には、前例のない変革に取り組んだ事、意欲的に取り組み、リスクを背負った意志決定をした事、そして同僚、上司、関係者が、すごく力を貸してくれる状況になった事です。

カズさんは常に経験されたことを一度じっくり自分の中で深めてそこから次のステップに行くべきかそのためにはどうしたらいいか、そして結果どうなったか、経験プロセスをご自身の中でかなりロジカルに見える化といいますか一度整理されてるイメージがあるのですが、そのサイクルってどこでどんな風に起きているんでしょうか? 

「常に、時間的、空間的、社会的なポジショニングを考えている人。」と形容してもらえると、撮っていただいた写真に見合ったカッコイイ人になれますかね(笑)。どうして、そうなったのか?ということですが、ブラジル生れから始まって、父の転勤でアウェー生活を過ごす中で、自分が心地良くいられる場所をいかに早く見出すか、という「生きる知恵」というレベルでポジショニング力が鍛えられてきたのかな、と思います。

もっと詳しく聞きたくなりました!具体的にもう少し体験を交えて教えていただけますか?

振り返ってみると、人間関係におけるポジションの取り方は、たいがいマンツーマンから始めるというよりは、特定の集団やチームに所属し、その中で、人に役立つ動きをして、信頼される人になって、関係性ができていくタイプです。社会的ポジショニング、つまり世渡りに関しては、思い当たる節がたくさんあります。オリジナリティ重視というか、ブルーオーシャン狙いで歩んできたと思います。高校のサッカー部では、利き足ではない左足を鍛え、左サイドバックのレギュラーを獲得、大学のテニスサークルでは、テニス上達をあきらめて飲み会で存在感を出す、会社に入ったら、苦手なIT系に早々と見切りをつけて、人間系に鞍替えするとか、ですね。今、進もうとしている道も、個性を発揮できて、かつ、ブルーオーシャンを選んでいるよという自覚はあります。ただ、舗装された道路だけを歩んだ人間が、いきなりオフロードにシフトするので、根こそぎアップデートが必要なんです。プライベートでは物理的なポジショニングにこだわりがあります。人や車の動きを先読みして、人混みや渋滞を要領よくすり抜ける、初めて入ったお店でトイレの場所を予測する、などですね。誰のお役にも立てない特技であることが、残念でなりません。

それは、チームにとっては最強の武器になる戦略性だと思いますよ!そんなカズさんは、やっぱりチームワークや関係性を大切にされている印象ですが、チームビルディングで一番大事だと思われることはなんでしょう?

虚勢を張ることなく、自分の至らなさを認められる誠実さ、勇気だと思います。そもそも、口八丁手八丁なタイプではなく、ごまかしが効かなかったから、そうならざるを得なかった、というだけなのです。リーダーが、自分の非を認めず、保身に走ると、理不尽に部下を疲弊させるだけですからね。

会社員生活26年で、得られた最大のもの、教えていただけますか?

労働組合や人事部、そして、管理職なども経験し、「人と人との関係性」や「人と組織との関係性」「組織と組織との関係性」など、表も裏も含め、色々な角度から見ることができました。また、自分も人事部には属していない時そう思っていましたが、「会社の悪いことは、全て人事の責任だ。」といったような見方をされることが結構あるのですが、そうした批判の中で「すべての結果をコントロールすることはできないけれど、自分にできるベストを尽くす。」というトレーニングは、してきたと思います。あくまでも、“自分なりに”という注釈付きですが。

急に話は変わりますが、小さい時どんなお子さんだったのですか?何か小さい時の自分が今のご自身と重なる部分はありますか?

ブラジルで生まれて、4歳になる前に帰国しました。ブラジル時代の記憶はほとんどないのですが、“こうと決めたら、なかなかそれを譲らない「頑固」な性格だった”と両親から聞かされています。ただ、小学生時代は、クラスの中でも、大人しくて、目立たない存在だったと思います。基本的に、人には頼らず、何でも自分で考えて、決めて、自分で責任を取る!という姿勢でしたね。幼いころから、なぜか極度の野菜嫌いで、両親には、ものすごく迷惑をかけていたのは間違いないのですが(笑)

アルゼンチンで長く子供時代を過ごされたそうですが、ぜひ何かその時の経験や面白い話などあったら教えてください。その頃の経験が今のカズさんにどんな影響を与えていますか?

父の転勤で、小5の2学期から、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにある日本人学校にかよっていました。小中一緒の学校で、1学年1クラスだったので、学年関係なく、とても仲良くしていましたね。先生と生徒との距離もすごく近く、先生は、先輩でもあり、友達でもあるというような感じでした。日本にいれば、、学校や部活での「理不尽な上下関係」や「人権侵害のような校則」を叩き込まれるような時期に、とても自由な学校生活を送れたのはラッキーだと思っています。住んでいたマンションの21階から、いつも青い空、ゴルフ場、ラプラタ川を眺めていました。立場や年齢による「上下」の分け隔てをあまり設けない、といったことや、自分のペースを保って生きる、といった感性はこの時期に培われていたんだと思います。

退職を決められた時はどんな心境でした?

コロナ禍の2020年5月24日に決心をし、5月25日に妻にも伝えました。コロナによって、これまでの経済成長ありきという圧倒的パワーの前に見過ごされてきた「人が人生を生きる意味」が問い直され、時代の価値観が大きく変わる節目にあるという実感をもったとき、「会社に残っている方が、辞めるよりも、人生のリスクが大きい」と考えたことが決め手になりました。会社に退職を申し出た後は、プレッシャーは全く感じず、むしろ、鎖が外れて、ものすごく身軽になった感覚がありました。会社という制約の中に、閉じ込められていた自分の強みを思いっきり活かせることに、すごく可能性と喜びを感じていました。決められた未来に依存して、打算的に自分を適合させていた人生のレールからあえて脱線し、、どう転ぶか分からない世界、先が見えないことに、ものすごくワクワクしている自分と、2年で何者かにはなる、なれるという根拠のない確信がありました。

そして今の心境をお聞かせください。

自分の時間を、「誰のために、どこで、どのように」使うことが、自分自身にとって一番満足度の高い生き方になるのか、を模索しています。いつか死を迎えたときに「自分の力を出し切った!」と思えることを第一義に考えていますが、かといって、今、目の前にある物事を犠牲にしてよいかといえば、そんな単純な話ではないので、中長期的な視点と目先のこと、自分のことと家族のこと、などの優先順位をどのようにしていくか、というあたりは試行錯誤になっています。

今はどんな活動をされていますか?

一旦は、ボランタリーベースで、社会的な意義のあることで、自分が関わる意味のあること、に携わっています。具体的には、温暖化防止に関わる活動をしているNPOやコミュニティに参加したり、プロボノとしてNPOなどの支援を行ったり、共創社会を目指す仲間が集まるオンラインサロンのコミュニティマネージャーを行ったりしています。加えて、こうしたソーシャルな活動を進めていく上で必要となる、対人関係構築、コミュニティ運営、ファンドレイジングなどのスキルを高めるため、様々な研修や学び合いのコミュニティにも参加しています。視野が偏ったり、狭くなったりしないよう、自分が目標としている方に、メンターコーチをお願いし、定期的に自分自身のあり方についても、見つめ直す機会を設けるようにしています。

カズさんの描く未来の社会、日本、地球、なんでもいいので熱く語ってもらえますか?

「自分は、与えられた有限の命を、きちんと輝かせて生きているのだろうか?」
「誰かにとって都合の良い与えられた人生を、あたかもそれが正解であるかのように思い込み、自分らしさを閉じ込めた中で、苦しみもがいて生きていく、そんなことになってはいないだろうか?」
「次世代に胸を張れる人生を、生きているのだろうか?」
「今のままで、人類は持続可能なのだろうか?」
「誰のために、何のために頑張るだろうか?」
常にこれらを自分に問いながら、自分自身のあり方を見つめつつ、ソーシャルな活動を通じて、強者にとって都合の良い刹那的な経済至上主義のヒエラルキー社会から、共感、共生、共創があふれる心豊かな参加型社会へのパラダイムシフトへの一翼を担い、いつ死んだとしても「我が人生に一片の悔いなし」と言えるような人生を生き切ること。

カズさんの生きるモットーは!

「大きな円の弧になる」
「あり方に生きる」

ご家族とはどんな風に過ごされていますか?

息子が二人(中1/小3)いますが、基本的に私は、子どもの勉強には口を出さず、体力が必要となる「遊び」のときだけ、活躍させてもらっています。

根こそぎアップデートをキャッチコピーにフォトセッションに来られましたが、根こそぎアップデートできましたでしょうか?ご感想お願いします。

まずは、私自身のあきらめの枠を取っ払っていただき、髪型や服装を通じて、オーセンティックな自分を引き出していただきました。当日の撮影では、未来を生きる自分が、今の自分を手招きしてくれるような、そんな時間軸を飛び越えた空間を演出していただき、その未来の瞬間の断面図を、写真に切り取っていただく、というファンタジックなフォトセッションになりました。

最後に5年後のカズさんの夢教えてください。

まずは、気候危機が、後戻りできない不可逆的なティッピングポイントに到達しておらず、その先の希望が見えている状態になっていることが何よりも大切だと思っています。
こうした前提においては、会社のミドル世代の人たちに、「こういう生き方もあるんだ。」ということを身をもって示すことができ、会社を辞めるとか辞めないとかいうことではなく、実は、考え方や工夫次第で、人生の選択肢は色々と考えられるし、自分で選択できる、ということをお伝えてきるような人になれているといいな、と思います。そして、自分自身は「次世代のために高い志をもって行う活動」と「とはいっても、今、目の前にある現実を改善していく行動」の両方をセットでやり続けている状態でいたいと思います。

カズさんの言葉は本当に洗練されていて他にない語録が次々に出てくるので思わず前のめりに聞き入ってしまいます。今回の記事のキャッチコピーもご自身が考えられたものです。これから更にどんなアップデートを幾度となく遂げられていくのか、カズさんから目が離せません。そして未来のカズさんにまたインタビューさせていただける日を楽しみにしています。

古岩井“ミルトン”一彦
“Milton” Kazuhiko Koiwai
アマゾンとサンバのブラジル生まれ。自然あふれるアルゼンチンで自由な思春期を過ごす。新卒で株式会社大和総研にシステムエンジニアとして入社。大和証券グループ従業員組合を経て以降、人事部門を中心としたキャリアを歩む。人事課長、人事部長、なども経験し、個々が尊重され、個の能力を活かす組織作りを目指す。人生の後半の過ごし方、あり方を考える中で、自分という「個」を最大限尊重するため、ソーシャル分野に転身。「大きな円の弧になる」べく、地球温暖化防止・気候危機へのアクションを通じ、選択する人生、参加型のコミュニティ社会の実現を目指す。
Interview / Photo and Editorial design : 雨森希紀(Maki Amemori)
Fashion Styling : 押木香代子 (Kayoko Oshiki)