INTERVIEW

Interview #3
料理人 高橋章子インタビュー 『心をこめて創りあげたものが届いた時の「美味しい!」の声との出会いが、私にとっての最高の幸せ。』
料理人として活躍されている章子さんですが、幼少時の原体験的なものがもしあれば教えていただけますか?
子供の頃は幼稚園くらいの時からずっと台所に入り込んでひたすら母が料理してる様子を見てました。やらせてもらえなかったんですけどね、全然(笑)。料理そのものに惹かれていたのか料理をしている母の姿に惹かれていたのか、未だにわかりませんが、母が私に影響を与えたのは間違いないですね。中3の時に、親戚が長野でプチホテルをはじめて、夏休みに泊まり込みで、憧れのキッチンに入ってお手伝いさせてもらえる機会があったんです。そこで料理をつくってる親戚のお姉さんがとにかくかっこよくて。実際に料理の体験をさせてもらうと、五感が震えるというか、体中で「楽しい」を感じていました。美味しい料理を作り上げていく彼女の姿と職人技に強烈なインパクトを受けてそこから火がついた感じですね。
その後どのように料理の道を辿られていったのでしょう。
学生時代はひたすらケーキ屋さんやパン屋さん、カフェと飲食関係のバイトをしました。それから少し時間が飛びますが、子供が生まれて子育てに追われながら、調理師になりたい夢がさらに大きくなり、資格をとれる教室を探していたんです。ちょうどご近所にパン教室があって迷わず通いはじめました。そこでパンの資格を取ったんです。その時は、とにかく息子が美味しい美味しいって食べてくれるのが嬉しくて、子供のその時の笑顔が見たくてひたすらパンを作り続けました。
そこのパン教室が章子さんの職人への道の始まりだったのですね。資格をとられてからどうされたんですか?
教室の方が講師に向いてると推薦してくださったんです。とにかく私はのめりこむ体質なので、狂ったようにパンを自宅でもつくり続けました。夜中にパン作りの音がして近所からのクレームを受けほど・・。想像を超える量を作ってました。もはやパンが自分の体の一部のようになってましたね(笑)。気付けば5年が経ち、そのスパンの中で量をこなした分自信もしっかりとついて、やがて“教えるより店を持ちたい”と思うようになって、2012年にベーカリーカフェをオープンしました。
講師になってたった5年で念願のベーカリーカフェを開業されるって、かなりのスピードですよね!
はい、確かに・・でも私きっとその倍以上寝る間も惜しんでパン作りしていたので倍以上の年月に値するかも(笑)。
はじめてオープンされたベーカリーカフェはどんなお店だったのでしょう?
”店内に入るとずらっと焼き立てのパンが並んでいて、美味しそうな香りに包まれている”カフェでした。お客様との出会いが本当に楽しかったです。そこで初めて息子以外の人に「美味しい!」って言っていただける体験をして、さらに作る意欲が湧いていましたね。ですが、実は先ほど話したみたいにパンが体の一部ってのが本当にそうなってしまって。パンの試食のしすぎで小麦アレルギーを発症してしまい、そこで一切パンを作れないという人生初めての試練が訪れました。その時の悔しさは語り尽くせないほど。そしてベーカリーカフェはおかげさまで繁盛していたのですが閉店せざるを得ない状況に追い込まれました。
章子さんの好きなものに対しては寝食を忘れるほど夢中になる度合い、情熱がこのエピソードだけでも伝わってきます。お店がとても軌道に乗っている時にギブアップせざるをえない辛い経験をされたわけですが、お仕事はどうされたんですか?
ベーカリーカフェを閉じた後、2015年に、飲食業をすでに古民家で経営していた 再従姉妹(はとこ)と共に逗子で、餃子とシャンパンのBAR”ハトコヤ(Hatocoya)”をはじめました。再従姉妹(はとこ)と一緒になので、Hatocoyaというネーミングに。
章子さんの切り替えの早さには驚くばかりですが、パン屋とは全く違う路線ですね!なぜ餃子とシャンパンだったのですか?
当時、まだ餃子だけ食べれるお店が少なくて、餃子好きの方々が一人でも気軽に入れるお店をやってみたかったんです。餃子はビールが当たり前じゃないですか。それじゃ面白くないなって。当時フランスで餃子でシャンパンの店がブレイクしていたんですよ。これは日本でもいけるのでは!と感じて、“女性が入りやすくかつ日本では他にない組み合わせを導入しよう”という企画に至りました。最初に餃子にシャンパンは何?と散々聞かれるんですよね。でもそれこそが狙い通りでした。他にない驚きを提供したかったので。結果的にお客様は男性が多かったのですけどね。
ベーカリーカフェとの違いや共通点を教えていただけますか?
共通の楽しさは、自分の食べたいもの、美味しいと思ったもの提供して、喜んでもらえること。経験値が高くなってくるのでよりお客様目線で余裕を持って居心地空間を提供をすることができるようになっていたのと、経営の自信もついていました。そしてお金よりもまずはお客様が喜んでくださるものを提供するってところに徹していたのは前回と変わらないのですが、お客様とのご縁がその気持ちの相乗効果として目に見えて表れるようになりました。一番大きな違いは、再従姉妹と一緒に経営することで一人ではできないことが二人ではできるという可能性の広がりです。二人だと形になるスピードが倍以上なんですよね。その結果、お店の経営だけでなく、何か残したいと思って1年後にラー油と餃子を売るというところに発展しました。売り上げと気持ちのバランスがうまくできていたので一度も赤字を出すことがありませんでした。ところが、3年後に今度は体調を崩して病気になってしまって、ここで第二の試練が訪れます。お店を経営できなくなってしまいました。そこから完全復帰までに2年の年月がかかりました。
そして現在のお仕事について教えていただけますか?
冷凍餃子とラー油の小売を継続しています。あの時思い切って商品開発しておいてよかったと思いました。再従姉妹が古民家でレストランを経営しているので、そこでHatocoyaとして週末にランチを提供しています。コロナ禍で厳しい部分もありますが、頑張って経営を続けています。それから時々料理の講師としても都内で活動しています。餃子に限らず、煮込み料理やパエリア、キッシュなど、“ちょっとおしゃれな家庭料理”をテーマにレシピは全てオリジナルで提供しています。
章子さんの経営スタイルを教えていただけますか?
売り上げの仕入額を細かく計算しない、です。計算を細かく形にすると数字に追い込まれて楽しくなくなるので。自分の楽しさはお客さんにそのまま伝わるのでまずはお客さんが喜んでくれるのを優先。材料費を削ることをしない。儲けよりもお客さんを喜んでもらえて自分も楽しむ。このサイクルです。そうすると自ずとお店の空間も楽しくハッピーになって人が集まってくる。
色々なドラマを経てこられた章子さんですが、章子さんの強みってなんですか?
好きなことしか体に入ってこない(アンテナはそこにしかたってない単細胞なんですよ)ので余分なことがない分、嫌なものと向き合うストレスは全く感じません。没頭できる体質と究極のプラス思考かな。好きなものには努力は厭わないので全うする自信があります。
章子さんにとって料理とは?
予定調和を超える化学反応を起こすもの。それは決して贅沢なものというよりも寧ろ冷蔵庫の余りものでつくれるような日常にあるさりげないものから生まれる思いもかけない幸せを与えるものって感じかな。
章子さんはどのようにワークライフバランスを保たれているのでしょうか?
夢中になる体質なので、病気になった経験からも学んで意識的にあえて自分の時間を取るようにしている。自分の時間:愛犬と海に散歩、友達とご飯食べに行って飲む!2度の試練(アレルギーと病気)は神様からの贈り物だと思っています。自分のキャパを過信しないことは本当に大事ですね。
一見繊細なイメージなのにものすごいパワフルな章子さんのモットーを聞きたいです。
常にやりたいことをイメージしている。夢の設定は常に現実。やりたかったら形にするものって思ってます。でも私は欲張りではないので等身大の自分を知っておくことがポリシーです。自分が出来る範囲のことをする、自分の実力は明確にそれ以上のものはインプットしない。謙虚さは大事にしています。結局セルフイメージって自己評価でそこが正しいかどうかこそセルフマネージにも繋がると思うんですよね。
実現スピードの速い章子さんなので5年後とはいわず、2年後の夢をお伺いします!
小料理とお酒を提供する小さいカウンターのお店。チャンスがあれば、フランス移住ですね!
これからもどんどん章子さんならではのクリエイティビティを発揮して、新しい形の食の楽しさを創って広げられていくのを楽しみにしています。