対談企画❶ / 渥美崇史 X 神田朋子 「自分の人生を主人公で生きる人たちを組織の中でも増やしたい」

2021.6.1up
コンサルティングファームで日本の組織特有のしがらみを経験しながら、社員一人一人が本当の自分と対峙して自身を受け入れること、そして相互理解を深めることなしに抜本的な変革には導けないと実感したという渥美崇史さんと神田朋子さん。お二人は現在、医療福祉業界を中心に組織開発の支援、リーダーシップ研修を提供するコンサルタントとして活動されています。過酷なコンサルティングファームでかつては上司と部下であった二人が、切磋琢磨するところに見出した真のチームワークとは、そしてこれからの日本の組織が目指すべき場所とは?そのヒントが、2020年、コロナ禍で子供から大人までを魅了した鬼滅の刃にも隠されているという。今回は対談形式で、「何も議題も設定せずに、まずはなりゆきな感じで話をしていく方が、面白い対話になるかもしれません。」と、渥美さんらしい提案とリードで、インタビューさせていただきました。

いきなりですが、お二人で映画鬼滅の刃を見て、議論を交わされたようですが、まずはそれぞれの感想を印象的なシーンと共に教えていただけますか?

神田: 私は「承認」の重要性を、煉獄さんとお母さんのシーンで感じたところです。驚くほどの精神力を持つ煉獄さんでしたが、実は彼を救ったのは母親からの「立派でしたよ」という承認の言葉だったんですよね。子供のような笑顔で喜ぶ煉獄さんを見て、どんなに強い人でも承認される事はとても大事なんだなーと。特にそれが母親だということは大きいですよね。

渥美: 僕は鬼にならないか?と煉獄さんが猗窩座に誘われた時、「俺はならない」とはっきりと断るシーンが印象的でした。僕たちの日常にも誘惑はたくさんありますよね。つい流されてしまいがちなのに、揺らぐことなく即答するところに彼の芯の強さを感じました。様々なしがらみや葛藤の中で生きる現代人にとっては、彼の明快さは、とても力強く映ったのではないかと思います。

この映画、子供だけではなく実は同伴した大人の方が感動してましたよね。何がそれほど大人の心を惹きつけたと思いますか?

渥美: 柱だけでなく鬼さえも悲しみを背負っているといった、人間の弱い部分がとてもストレートに描かれているところじゃないでしょうか。世の中は善と悪に割り切れるような世界ではないというメッセージが共感を生んだように感じます。

確かに、アニメで加害者側の心情や背景にもフォーカスされるのは珍しいですよね。

渥美: 2013年に「しあわせ」をテーマにした新聞広告のクリエイティブコンテストの最優秀賞をとった「ぼくのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました」〜一方的な「めでたし、めでたし」を、生まないために。広げよう、あなたが見ている世界。〜という話題になったコピーがありますよね。僕は鬼滅の刃を見て、これを思い出したんです。物事には全て表裏がある今の世の中はすぐに虐待が悪い、イジメは悪いって槍玉に挙げられてしまうけど、別の視点から見れば、イジメをする人は実はとても傷ついている、虐待をしてしまう人は虐待を受けた経験があったりする。それぞれに痛みや悲しみを誰もが背負って生きている。でも、それをなかったことにして正義が悪を裁くみたいな世界はとても息苦しくて、僕はそんな世界に生きたいとは思えない。綺麗ごとかもしれないですが、見えるところでだけでなく、見えない場所に目を向けることができたら、世界はもう少し優しくなるのではないかなと思うんです。

物語を深掘りしていくと面白いですよね。大人が言葉にはできないけれどでもなぜかとても共感してしまう。しかも見る側のそれぞれの価値観や感情によって何を感じたかが違うことを議論しあいながら発見するところも面白い。こういう観た後に会話したくなるネタがこの鬼滅はたくさん孕んでいるのも魅力なのかもしれないですよね。神田さんは、他に何か強く印象に残られたものありますか?

神田: はい、ミッションの重要性です。母から受けた使命を煉獄さんが全うするところ。きっと多くの人が自分のミッションが何なのか不明確なまま組織で働き、そして時に、組織に与えられる役割や成果にもがき葛藤することが多いと思います。煉獄さんのように明確なミッションを持ちそれを全うする生きざまを見て、ミッションの重要性を再認識しました。

役割が不明確ながら、働き続ける。実際、今の組織にはお二人から見てそのような現状があるでしょうか?

渥美: 僕たちは主に医療福祉のリーダーの能力開発や組織変革を支援していますが、ここ数年、多くの組織では先が見えない閉塞感や停滞感が非常に強くなっています。そこにコロナがやってきて、現場はさらに疲弊感がかなり強くなってきている。経営者の方も未来に希望を持ちづらくなり、明確なビジョンが描けないといった状況を感じることがあります。

では、その状況を突破できる解決法はあるのでしょうか?

渥美: 突破口の一つはミドルマネジャー(以下、ミドル)にあると思います。ミドルは、部長、次長、課長といった中間管理職です。特に課長は組織の中心の存在でトップの考えも現場の気持ちも分かる。現場に行っても、彼らが一番色んなことを把握している立場にあると感じます。でも、間に立つ葛藤に押しつぶされそうになっている。その上に求められているのは「守り」で「攻め」の筋力が鍛えられていません。本来のミドルの役割は「突き上げ」だと思うんです。綺麗事として片付けずに真剣に苦悩葛藤するところがミドルらしさです。ミドルの社員が覚醒すれば、脆弱化した組織も蘇ることができると思います。

組織で葛藤した経験をそれぞれ教えていただけますか?

渥美: 30歳の時、僕は日本経営グループというコンサルティング会社で働いていました。その頃社内ではトップの世代交代を機に、社内で様々なトラブルや事故が起こっていたんです。お互いに非難しあうことが続いて心が病んでしまう社員が急増し、その影響で業績も低迷しました。僕は当時、課長だったのですが、部下の気持ちと上層部の方針の板挟み状態で精神的にかなり追い詰められていました。それでも目前の目標や仕事をこなさなければならないので、心も身体もかなり疲弊して、何度も逃げ出したいと思いました。実際に辞めようと転職活動もしました。それでも、自分の会社の問題解決ができなくて、クライアントの問題解決なんてできない、という信念があって、最悪な状況を打開できる方法を会社外で探し始めたんです。そこで出会ったのが、「学習する組織」「U理論」という考え方です。今までの組織マネジメントとは真逆な発想に強烈なインパクトを受けました。自分がこれまで積み上げてきた価値観を壊すのにはかなりの痛みが伴いましたがこのアプローチでこそ膠着した状況から打破できると確信し、早速会社に導入しました。僕が持ち込んだのは手法というより思想。当然、導入当初は猛バッシングを受けましたね。「どうあるべき」ではなく「どうありたいか」から考えよう。これまでは上位下達、実力主義が非常に強いカルチャーであったところに、業績目標や権威によって動かすのではなく、そもそも一人ひとりが「自分たちはどうありたいか」について話し合い、フラットな組織運営をしていこう、という考え方に特に上層部からは「生ぬるい」「それで人が育つのか」って。強烈な批判を受けました。それでも、僕はどうしても諦められなかった。その後、同じように悩み苦しむ中間層や若い世代からの後押しもあって、何度も社内勉強会や対話の場を重ねていくうちに、徐々に仲間が増えていきました。

ちょうどその頃神田さんも同じ職場に部下としていらっしゃったんですよね?

神田: 私を組織で生き永らえさせてくれたのが渥美さんでした。会社の文化は強力で、10年くらい会社に求められるあるべき像に苦しみ縛られ続けていました。いつの間にか自分らしさを忘れ、後輩にも無言の圧力であるべき像を押し付けていた。渥美さんの考え方に触れることで、呪縛から解放され、やっと自分らしさを取り戻すことができたんです。

渥美さんが感じた神田さんの第一印象は?

渥美: 神田さんが入ってきた時は、「私は何者にも縛られません」「社会不適合人間です」と堂々と言っていて、自信満々で権威に媚びない、今までにないタイプの社員でした(笑)。それでも、時間の経過と共に、会社の雰囲気に飲み込まれていっていることがわかりました。「神田さんらしさ」というものが徐々に消えていく姿を見ていて、この個性を潰しちゃいけないって本能的に感じたんです。そこで、対話の時間をたくさん持ちました。その時も周りから「甘やかしている」という声があがる中、「自分が間違っているのでは」と何度も自問自答しましたが、それでも貫き通せたのは、理屈ではなく自分の感覚を信じていたからだと思います。今思えば、論理や理屈に偏りすぎてしまった職場に、人間として本来大切な感性や感覚といったものを取り戻さなければならない、それが死にかけた会社を蘇らせるために最も必要なことであり、「これは自分しかできない役割だ」と勝手にそう思ってましたね(笑)。

実際どんな方法で社員同士の関係性や対話を強化されていったのでしょうか?

渥美: まず、自分たち課長クラスと溝が深まっていた係長クラスと毎週土曜日にオフサイトミーティングを実施しました。会社の近くの喫茶店に集まってとにかくなんとなく対話するんです。それぞれが思っていることを率直に話す、そんな時間でした。最初から全員が前向きではなかったのですが毎週土曜日に2時間ミーティングを1年くらい続けました。そしてちょうど1年くらい続けた頃に1泊2日で合宿をしたんです。その中に、それぞれがこれまでどんなふうに生まれ、育ってきて今に至るのか「自分史」を発表するという企画を設けました。それが、職場では全く見えてなかった姿を見て、一人ひとりに対する見え方が変わる強烈な体験となったようですね。

職場を離れた場所であえてその機会を設けられたんですね。みなさんが真面目に発表されたってところがとても興味深いです。その後変化はありましたか?

渥美: そこから一気にお互いの距離が近くなりました。それまでバラバラだったのが徐々に小さな円ができていって、真の仲間が増えていったというか。僕としても目の当たりに変化を見たわけですから、もっと大きく全体に展開していけるのではと思いました。そして、自分を守るために相手を攻める、みたいな雰囲気はなくなっていきました。会社全体にその機会を広げ、部長や役員、一般社員も交えて対話の場を持ちました。ある二日間の合宿の中で、一人一人がどんな思いで仕事をしてるのかを話し合う時間を持ったのですが、これまで自分の素の思いを話すことがなかった社員が自分の胸の内を語り始めた時は、心が震えて、涙が止まらなかったことを今でも覚えています。それから、どんなふうに組織を運営していきたのか、どんなカルチャーにしていきたいかを全員で話し合ったりしましたね。それを境に、組織が一気にまとまっていきましたね。

会社そのものへの影響はどんなでしたか?

渥美: それまで、業績目標を達成する社員と未達の社員が毎回同じという構図だったのが、変革の取り組みを2年間続けた直後の年は全員が個人目標達成することができました。そして過去最高利益を出したんです。僕が入社してから、初めて全員が共に目標を達成できたことは、痛快な成功体験となり、「人は皆可能性を持っている、よいチームはその潜在能力を引き出すことができる」という確信へと変わりました。

2年越しで結果を見られた渥美さんのその後はどうされたんですか?

渥美: 社内の取り組みが一段落し、外を見たらクライアントも同じような状況になっていることに気づきました。そこで、自分の新たなステージを作るという意味でも、クライアントのリーダーシップ開発・組織変革を支援する子会社をつくろうと思い立ちました。そこから参画してくれそうなメンバーを集め、事業計画をつくり、役員と対話を繰り返したのですが、結局親会社の意向と子会社の構想の折り合いがつかず、そのプロジェクトは実現しませんでした。それで社内での目的を失って、会社を辞め独立することにしました。

神田さんも組織の中で、考え方が変わるようなきっかけがあったそうですが。

神田: 当時、仕事は修行だと思っていたので、楽しむ感覚などなく完璧にやりこなさないといけないってただそれだけに突き動かされていました。後輩の育成をしていたのですが、いくら後輩を承認しても常に苦しそうだった。そんなとき渥美さんに相談したら「それは自分が仕事を楽しんでないからじゃないの?」と言われたんです。核心をつかれましたね。それから仕事を楽しむことについて考えを変えました。そして、出会ったのがリベラルアーツです。リベラルアーツは、自分の専門外なこと、世界や過去や未来について幅広く教養を学びます。その中で、日本人はマイナーな人種であること、自身の考えはマイナーであることを知り、自分の常識は常識ではなく、今の組織や日本で正解とされるあるべき像は正解ではないと疑うようになりました。そこから宗教、哲学、歴史、等に積極的に触れるようにしました。今までの自分の偏った思考が覆されたようにリセットされていきました。自分の固定観念を疑ってみようって。そうすると偏見が自然となくなっていったんです。ニュースを見ても客観的に、例えば「これは本当に批判されることなのか?」「コメンテーターの発言は偏ってないか?」と考えるようになりました。自分なりに情報を精査するようになりました。長い間私の中にこびりついていた、あるべき像を打ち破ることができました。

自分の考えや固定観念を疑うようになるってかなりダイナミックな思考転換ですよね。

神田: それから、ある研修に参加したことをきっかけに更に自分の考え方が変わりました。その研修の中で、参加者の方々から手紙をもらうといった内容があって、その手紙を通してたくさんの人の自分への想いを知ることができたんです。「自分自身が自分の可能性を否定していた、なんて自分に可哀想なことをしてたんだ、これからは自分を主人公にしてあげよう」と思えたんです。そして自分だけの力ではくて、人との関わりの中でこそ得られるものがたくさんありました。

生き方そのものへの影響はありましたか?

神田: 仕事面でもプライベートでも大きく変わりました。仕事面では、「お局感が無くなりました笑」。厳しいことはもちろん伝えるのですが、「あるべき像」の押し付けが圧倒的になくなりました。例えば若手に対しては、「先輩・上司」が言っていることが正解ではないという前提になったので、若手の意見をよく聞き取り入れるようになりました。また、仕事ではチャレンジする機会が多くなりました。「これは私には無理」と思っても「いや、できる!」と意識転換することが得意になり、チャレンジを怖がらなくなりました。重い鎧を脱いだそして、「男性かくあるべき」も捨てられたからだと思います。そして、生きていくことがとても楽になりました。

神田さんは日本におけるリーダーのあり方についてどう思われますか?

神田: リーダーに限らず、「自分を信じる心を育てる」というところに、鍵がある気がするんですよ。多くの人は恐れや不安を抱えて生きていて、だからこそ相手を攻撃したくなる、批判したくなる、容易に認めたくなくなると思うんです。先輩・上司が若い子を批判するのも自分への自信の無さが根本的な要因だと思っています。自己受容できて初めて他者受容もできると思っています。つまり、自分を愛せるかどうか。自分に対しても「評価されていない、自分はこのレベル」という思い込みを、いかに外せるかどうかが課題だと思います。

自分を受け入れるにもやはり一人では難しいと思いますか?

渥美: そうですね、他者との繋がりなければ自分と繋がることは難しいと思います。僕も本当にたくさんの人に出会い、応援してくれる色んな人の存在があったからこそ、一歩踏み出せる勇気が持てました。組織の消えかけてしまった火を取り戻すためには、まずはお互いに切れてしまったコードを繋ぎ直し、オープンに対話ができる機会を意図的につくりそして継続することが必要だと思います。そのプロセスをサポートするのが僕たちの役割だと思っています。

最終的には人の心と心が動かしあって物事は進んでいくようなそんなふうに感じますね。
ここでお二人それぞれにお聞きしたいのですが、理想的な組織の中の部下と上司の関係とは?

神田: 自分は存在していてもいいんだと思える社会をまずは作ること。そしてそれぞれが主人公でいられる組織を形成する事。自分の人生を主人公で生きる人たちを組織の中でも増やしていくべきかと思います。誰か1人がリーダーでそれについていく構図は終わっていると思います。個人個人が自分の軸を徹底して確立してこそ、真の意味での組織内におけるチームビルディングを築けるかと思います。

渥美: 例えるなら、ワンピースのような組織です。誰が偉いとか偉くないとか関係なく、お互いにオープンで言いたいことが言え、弱さや未熟さも共有できる。そして、それぞれが自分なりの夢をもっていて、それでいて補い合い協力しあい、チームとして繋がっている、そんな組織や関係性が理想です。ちなみに僕はルフィのようなリーダーに憧れます(笑)。

最後に、今後のご活動の展開についてお聞かせください。

渥美: 一年かけて開発してきた「ニュータイプ・リーダーシップ」というプログラムを本年度からリリースします。時代が変わり、個人の意思も大きく変わってきている中、マネジメントシステムやリーダーシップはその変化に追いついていない。そして様々なところで歪みが出ている。だからこそ、僕たちは新しい時代への架け橋として、一歩先を照らす存在でありたい、新しい時代に適応したリーダーシップへのシフトを促したい。このプログラムは、そのための第一弾として、現場で苦悩されている多くのリーダーに届けていきます。

神田: そのニュータイプ・リーダーシップは女性性(女性が持ちやすい特性)に近いと思っています。私は特に女性に対してこの考え方を知ってもらい、自分に自信を持ってもらい、真にダイバーシティな、性別・年齢に関わらず誰もが自分らしく輝ける社会を創っていきたいと思っています。

この対談を通して、リーダーこそが、人の可能性を信じ、それを引き出す機会を探し求め続けた先に、今まで見えてなかった世界が組織の中でも、一人の人生という文脈でも広がっていくのだと感じました。渥美さんには、ソフトな雰囲気からは想像もつかないどこまでも諦めずにとことん突き詰める熱さと人間臭さがある。その中に寛容なカリスマ性を秘めている方。そして神田さんは、理系頭脳の持ち主でありながら、人との信頼関係、自然と相性が良い直感や、歴史、文化やアートに触れながら磨く感性を、とても大事にされているのが特に魅力的に感じました。そして、お二人の共通点は、社会の流れを敏感に察知ながらも、しなやかに地に根をはって、一番必要なことを冷静に見据えてらっしゃるところです。経験にはその人が凌駕してきた紆余曲折なプロセス、そしてたくさんのドラマがあります。彼らが自らの体験から生み出したプログラムには、揺るぎない熱い想いがあります。これからも、社会の変化にマッチした斬新なソリューションを実装され続けていく勇ましいお二人のご活動をとても楽しみにしています。

渥美崇史
Takashi Atsumi
静岡県浜松市生まれ。大学卒業後、新卒でヘルスケアへのコンサティングを専門とした日本経営グループに入社。20代後半まで人事コンサルティングのキャリアを積み、その後、マネジメントスクールの新規事業を立ち上げる。30代前半に学習する組織、U理論に出会い、本格的に組織開発の領域に進む。マネジャー、シニアマネジャーを経験し、35歳で独立。時代の大きな変わり目の中、新しい時代への架け橋となるべくこれからの社会に適応した組織マネジメント、リーダーシップへのシフトを支援、生命力ある個と組織に溢れる社会の実現を目指す。株式会社ピュアテラックス http://pure-terax.co.jp
神田朋子
Tomoko Kanda
群馬県藤岡市生まれ。理系大学院卒業後、新卒でヘルスケアへのコンサルティングを専門とした日本経営グループに入社。人・組織のコンサルタントとして、全国の各病院・施設に訪問し、制度設計や研修を実施。その後大手企業に対する組織開発・人材開発の会社へ転職し、戦略立案、リーダーシップ、キャリアデザイン、DX、リベラルアーツ(西洋美術、宗教)、等幅広い分野の研修に携わる。2018年に第1子を出産し、子供から学ばされる日々。誰でも自分を主人公に自分の人生を送れる社会の実現を目指し、複業スタイルを送っている。
Photos / Edit & Text : 雨森希紀 (Maki Amemori)